ナルナルさんによると、
最近は彼の仲間の船橋民の方々が、弊ブログを時々覗きに来てくれているらしい、、、

ありがたやありがたやm(__)m

こんな雑なブログでよければ、いつでも見てやってください😅
ついでに突っ込んで戴けると幸いです。


そうそう、、、
ナルナルさんは船橋の歴史に非常に興味をお持ちみたいな様でして、、、


俺は純血のジモではなく、単なる『よそ者移民』の子供だったので、他の方々比べると、
あまり船橋に詳しいとは言えない。
(せめて片親がジモで無いと、純粋な船橋っ子とは言えない。所詮移民は移民、余所者だ)


そんな俺が、船橋らしい事が書けるとしたら、
かつて5歳から30歳まで住んでいた場所の近くにある、
『ららぽーとTOKYO-BAY』の事くらいしか無い。
(ヘルスセンターは小1の時に潰れたから、書きたくても一部しか記憶に無いんだよね😓)


そこで、3年前に書いた『昔のららぽーと』の記事をリライトするために、今一度ららぽに再訪し、手直して再掲してみましょうか…

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とりあえず今年分のネタが尽きていることだし😅😅

しかも来年は、ららぽーとTOKYO-BAYが開業して、
丁度丸40年なんだよな、、、



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1981年4月初日、
廃園された船橋ヘルスセンター、
そして初代IKEAに使われた跡地を使い、
ららぽーと船橋ショッピングセンター(現ららぽーとTOKYO-BAY)は開業した。


今は取り壊された旧船橋そごう、現在の北館と呼ばれる専門店モール、東側の旧ダイエー、現在の南館の一部にはレストラン街の建物が建っいるという建物構成で、総面積は現在の半分程度しか無かった。
(ググると当時の写真がよくヒットする)


ららぽーと開店初日、あいにくの雨の日に、
船橋そごうの屋上で開催されたミニコンサート

ゲストは、あの
松田聖子だった‼️

雨天もあってか定員制になっていたが、
俺は諦め切れず、、、
友達と妹と、秘密の突破口を見つけて忍び込み😓😓
遠くからになったが、何とか松田聖子の姿を拝む事が出来た\(^^)/
(今こんな事やったら大変だったろうな、、、😅)

真っ赤なツナギを着た聖子嬢は神々しく、
歌の声量に圧倒された。


ららぽーとTOKYO-BAYの歴史は、
松田聖子から始まった野田よ( =^ω^)


ちなみに第2弾は研ナオコ、第3弾は岩崎宏美で、
ここに出演後数ヶ月年以内に、2人とも久々にベストテン入りするヒット曲※を出したのは、当時不思議に感じたな、、、

(※「夏をあきらめて」と「すみれ色の涙」)



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船橋は、某「梨の魔物」のお膝元。

彼は数年前に、
自分の店をららぽーとTOKYO-BAYにオープンさせた。


当然、彼は無意識に力が入るでしょう。
お膝元だし、、

イベントともなると、
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なんだよ…
このファンの列( ̄0 ̄;)

梨の魔物の魔法はまだまだ健在!!
凄いよなぁ~




それとは対称的に、40年間ずっと途切れる事無く、
その法灯を守り続け、開業から続いている店がいくつか残っている。

テナントの入居&撤退が激しいショッピングモールにおいて、こういう存在は貴重だ。



代表的なのは、
今や全国区の激安レストランになったサイゼリヤ。

当時は市川・津田沼あたりで数店舗を展開していた
小規模チェーンだったが、

ららぽーと開業から数年の間に、ここぞとばかり3店舗を集中展開し、勝負をかけてきた。


当時のサイゼリアは今より少し単価は高目で、
ファミレス然とした現在に比べると、もう少しイタリアンレストランとしての色が強く残っていた。


売れ筋のミラノ風ドリアは今より小振りで100円近く高かったが、酒のツマミも豊富で、チーズ盛りやトリッパーなどもあった。
ピザの安い奴は単価を抑える為か、ウインナーを輪切りにしたものが乗っていたなぁ、、、

ハウスワインは今の方が安くて美味いな、、、
ワインの種類は、今の5倍位あった。


俺が二十歳前後の頃から、サイゼリアは大きく飛躍した訳だが、それまでのサイゼリアは
『十分に呑める店』だった野田、、、



そんなららぽーとのサイゼリアは、
当時のオリジナル店舗は全て無くなったものの、
未だに1店舗が場所を変えて営業中。

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さすがに天下のサイゼリヤにとっても
ここは崩したくない牙城の1つなんだろう。

アッサリとスクラップした1号店よりも
戦略的に大事な店だったんだろうね。
(本八幡の1号店跡は記念館として残されている)


遠方からディズニーに行った方々は、
ららぽーとの隣にあったホテルサンガーデンに泊まり
翌日は当時はまだ珍しかったこのショッピングセンターに寄るのが、
1984~90年頃迄の定番観光コースの選択肢の1つでもあった。


ここに出店し成功して存在感を示せれば、
当然全国的にも知名度も上がる…


ここがサイゼリヤにとって、
千葉のローカルチェーンから、全国に店舗展開する為の足場の1つになったのは、紛れもない事実であろう。
一時期本社もここに置いていた位だし…

(あ、ちなみに現在ではサイゼリア本社は、我が千葉県を捨てて、あろう事かライバルである埼玉県に引っ越ししてしまいましたwww)



他にも当時からここに店舗を持つ会社が
まだ幾つか現存する。


伊藤楽器という、船橋の老舗楽器屋でYAMAHAの特約店がある。
ちなみな俺はここでレコードや、最初のフォークギターを買った。


他にも和服屋さんにガラスの雑貨屋さん、今もあるなぁ、、、(和風屋のおばちゃん、怖かった😧)

他には歯医者さんも81年から続く由緒ある医院だ。
通院したよ、、、何回も、、、
痛かった( 。゚Д゚。)


元ロッテオリオンズの選手であり監督にもなった、有藤氏が経営するお好み焼き屋『有賀藤』も、場所を変えながら初期から続い今でも現存する店だ。

ちなみに開店の記念品は、有藤『選手』のサインボール。
うっかり水で濡らしたら、サインが滲んだ。
多分直筆だったんだろう、、、
印刷モノとばかり思っていたから、ビックリした記憶がある。

にんにくや五右衛門や、
イタリアンレストランヴォーノも、
30数年位経った今でも現存している。


惜しくも閉店してしまったが、中国雑貨店の大中や、コイデカメラ、メガネのアイコールも30年程続いた店だった。
大中では、当時あまり売っていなかったウーロン茶の茶葉を、コイデカメラでは100円のカセットテープを
アイコールではメガネを5本以上作ったかな…

他には、
IKEAの二代目の店が、北館北側に入っていたが、
こちらは数年で閉業。

レストラン街の隣には、地震体験館なる、中が映画館みたいな施設は、震度7が体験出来るという変わった施設で、入館した人は地震体験証なるカードが貰えた。

たまに行くウェンディーズは、
俺にとってはご馳走であり、フロスティとチリがお気に入りのメニューだったなぁ、、、


駐車場の一角には、車に乗ったまま観れる映画館があり、当時映画観る金が無かった俺は、
機動戦士ガンダムⅢ・巡りあい宇宙を、音声無しで観たものだった。(テレビ版見ていたから、何となくセリフはわかるんだよね、、、)

いずれも懐かしい思い出だ。


話はそれたが、
ららぽーと40年の歴史の中で、上記の店の様に当時から生き残っている店の中で、
特異で波乱万丈な変遷を経て、
法灯を守ってきた店が存在する。

それが、意外にもこの店な野田、、、

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それは、サンリオという会社の施設だ。


一見どこにでもあるごく普通の
サンリオshopに見えるが、
ここのサンリオ直営店は
スクラップ&ビルドを何度か繰り返しながらも
ずーっとららぽーと共にと歩んできたのだ。



現在、『梨の魔物』が店を構えているエリアあたりには、オモチャ屋と軽食コーナー、
そして模型屋や鉄道グッズの店など、子供を対象にした一角があった。
↑↑
(余談だがこのオモチャ屋に、ガンキャノンのガンプラを買いに行った際、20000円の宮形霊柩車のミニカーがお札の上に飾ってあって、チョイと怖かった(-_-;)…ちなみにこの玩具屋は、船橋駅前通りにあった玩具屋『コミヤ』の支店だった。)

今の、このエリアあたりかな、、、

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その一角に、ハローキティの店があった野田‼

しかも、レストランとして(^^)



その名も
「レストラン・ハローキティ」



ナイフ・フォークやお皿
はたまた椅子から何からなにまで全部
ハローキティに統一されていた( ロ_ロ)ゞ

従業員のコスチュームも、
ディズニーランド程ではないが、
当時としては凝っていた方だった。

八重歯のカワイイ社員の人の
笑顔とコスチュームの姿が、
今もって忘れられん(^^;


あの当時、
ここまで徹底してやる店は珍しかった(°Д°)

ディズニーランドが出来る前だから、
明らかに時代を先取りしていた。

80年代前半にしては
かなり画期的だったかと思う。
(その数年前に、都内にサンリオサロンってのが存在したらしいが、そちらも資料が無い)



実は身近な人物が、ここでパートをしていたんで、
俺が中坊だった時に
4~5回、この店に顔出した事がある。


ここに呼び出され、従業員割引で飯食ってたら、
オープンスタイルの店がゆえに
学校帰りの同級生に見つかってしまい…

「オマエ、こんな趣味があんのか??」

と冷やかされ、
恥ずかしい思いをした(*ノ▽ノ)



当時の様子を伝えられる画像が何か残っていないか、
ネット上でいろいろ探していたが、

ある意味サンリオの『黒歴史』でもあるこの店、
そんなモノ、当然ある訳がねぇわな…(T_T)



で、まわりの雰囲気だけでも伝われば良いと思い、
微かな記憶と、下手っぴな絵ながらも
簡単なスケッチ画を書いてみた。

90度右にスマホを回して観てください。

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実際は全然ちゃうかもしれんが、
室内はオープンテラスな構造だった事は確かだ。

平面図っぽく書くと、位置は大体このあたりだった。

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今でこそ、
ハローキティ関連は絶大な人気を持ち、
ギャルからギャルママに支持されてはいるが、
当時はまだそこまで人気は無く、
この店のターゲットは小さい娘を連れた家族だった。


そしてまだこの手の場所には、
専門的な調理を求められなかった時代。


冷凍食品やレトルトものも多く
詰めの甘い演出は
当時からしたら仕方の無いところ。


でも意外にピラフやチキンライス、
それにチキングリルは意外に美味かったゾ(^^)

メニューに載っていた値段も、少しだけ高い位で、
決してボッタでは無かった。
ウェンディーズより少しだけ高い位だったかと…


ただあの当時、

1980年代初頭当時のサンリオは、
文具やぬいぐるみなどを中心とした
商品展開をしていたので、
小学生向けのキャラクターの中の一人でしか無く…


当然、売り上げは芳しくなかったみたいで、
キャラクターが重要視されるキッカケとなる
ディズニーランドが出来る前年位に無くなってしまった。
期間にして、僅か2年強かと。

その後も、わざわざサンリオキャラクター色を消した
デッコリードッキ
という名のクッキーと紅茶の店に転換したり、
色々迷走していた様だが、なくなってしまった。
直営グッズ店は、ずっと現存していたが…



その後、88年位だったか、
当時の平面駐車場を全て潰し、ららぽーと2が出来たんだけど、その北側に、サンリオの小さいテーマパークみたいなものが出来た。

(名前までは知らなかったが、サンリオファンタージェンって言うらしいね、、、)

ここはサラリとしか見た事が無かったが、張り上げ屋根みたいになっていて、
サンリオを中心とした巨大ブースになっていたが、キティ色はそれほど強くなかったような、、、


だがこのエリアは家族連れや女の子ばかり、、、
当時20前後の俺には完全に無縁。
こっ恥ずかしいので、なかなか近寄れなかった。


このファンタージェンも、
ハローキティブームが来るか来ないかの96年頃に、
僅か6~7年で無くなってしまった。

サンリオにとって、船橋のららぽーとは、
相性の悪い鬼門=黒歴史であると同時に、
様々なテストを行う場所だったと言っても過言じゃ無いだろう。


2019年12月に、TBSラジオのたまむすびという番組にて、過去にあったモノを調べる『竹ガム』というコーナーにて、このファンタージェンが調査対象になり、

HPにて過去の貴重な画像が公開された。
↓↓
https://www.tbsradio.jp/434395

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時は流れ、元キティラー達はママとなり、
早く子供を産んだ方々は、子供はもう成人かな…

いや、キティラーブームが来るうんと前の、
キティちゃんの筆箱を使っていた
俺と同世代の女性達は、
下手すりゃお婆ちゃんになっている訳でして…(^^;
時が流れるのは早い…


本格的なキティラーブームが
あと10年早くきていたなら…

ピューロランドが後5年早く出来ていたなら…

当時の冷凍食品の技術の水準がもう少し高くて、
良い味のものを出せていたなら…

もしかしたら
このレストランをはじめ、これらの施設は、
もっと長く生き残れたかもしれない。

一時代を築いて
きっと面白い事になっていただろうね…


「御三家時代を知る50才位の婆ちゃん」
「キティラーの30前後のママ」
「幼稚園生の娘」


この3世代がここで
サンリオキャラを語りながら
仲良く食事や買い物をしている姿が、
きっと見られた事だろう(^^)
(勿論、おとうちゃんやお爺ちゃんは
荷物持ちに疲れて車ん中でお昼寝かな(^-^)

で、センターコートやステージなどで
こんな無料showをやっていたなら、
彼女らにはたまらない1日に
なっていただろうよ…(^^)

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時代を先取りしすぎたのかな…

非常に勿体ないと思うのは、
変態野郎の俺だけだろうけどね…